
岡田克也さんが外務省に初登庁した、2009年9月16日夜(9月17日未明)に発した国家行政組織法第12条などに基づく大臣命令で始まった日米間における4つの「密約」に関する調査が終わりました。報告書が3月9日、有識者委員会座長の北岡伸一さんから、岡田外相に渡されました。
内部報告書、有識者報告書のほか、関連公文書などは下のホームページから見ることができます。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/mitsuyaku/kekka.html
岡田さんは自らのブログなどで、「最後に、外務省の職員の皆さんも、とにかく『いま出せるものはきちんと出す』という思いで、この半年間本当に一生懸命に、徹底的に資料を調べ、そして公開のために準備をしてくれました。外務省の皆さんも本当に一生懸命頑張ったということ、そこは、国民の皆さんに申し上げておきたいと思います」と部下の労をねぎらいました。

【他策はあった・・・】
『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』。
大変印象に残るタイトルの本です。著者の若泉敬さんは、沖縄返還交渉で、佐藤栄作首相の密使として、ニクソン政権のキッシンジャー補佐官と特別な交渉ルートを持ち、1969年11月19日、ワシントンのホワイトハウスの小部屋で佐藤首相とニクソン大統領が2人っきりで署名した「合意議事録」という文章を起草した人です。
この「合意議事録」には、次のようなことが書いてあります。きょう提出された有識者委員会の報告書の中にも収められていますから、そこから引用します。
(北岡座長らの報告書の70頁から引用はじめ)
(前略)
米国政府は、沖縄に現存する核兵器貯蔵地である、嘉手納、那覇、辺野古、並びにナイキ・ハーキュリーズ基地を、何時でも使用できる状態に維持しておき、極めて重大な緊急事態が生じた時には活用できるよう求める。
(中略)
日本国政府は、大統領が述べた前記の極めて重大な緊急事態の際の米国政府
の諸要件を理解して、かかる事前協議が行われた場合には、遅滞なくそれらの要件を満たすであろう。
大統領と総理大臣は、この合意議事録を二通作成し、一通ずつ大統領官邸と総理大臣官邸にのみ保管し、かつ、米合衆国大統領と日本国総理大臣との間でのみ最高の機密のうち取り扱うべきものとする、ということに合意した。
一九六九年十一月十九日
ワシントンDCにて
Richard Nixon
Eisaku Sato
(引用おわり)
このペーパーに書かれている内容は驚くべき内容です。ところが、このペーパーは、最近になって佐藤邸から発見されました。ということは、佐藤政権以降の自民党政権に引き継がれていなかったことになります。
報告書の79ページはこう書いています。「佐藤内閣の後継内閣をも拘束する効力」について、「おそらく否定的に考えざるを得ない」としています。
そして、もう一つ。若泉さんのペーパーがなければ、沖縄は日本に返還されなかったのか。
これについて、報告書は、「これらに答えるのは現時点では難しい。判断の根拠となる資料がなお不足しているからである」としています。
ただ、少ない資料を精査した結果として、ペーパーの発効には、佐藤、ニクソンのほか、統合参謀本部議長の署名が求められていたのに署名がないこと、沖縄返還交渉の日程が残り2日間あり、交渉の材料となる別のペーパーがあったこと・・・などから、「結局合意は実現されたのではないかと考える」としています。
ですから、若泉さんが起草したペーパーがなくても、沖縄返還交渉は実現していた可能性は極めて高いことになります。
民間人の若泉さんは自らが抱えた秘密の大きさに耐えきれなかったのでしょう、そのディスクロージャー、情報公開として、1994年、文藝春秋から『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』を世に出しました。1996年、若泉さんは66歳で他界しました。自殺だとされています。
私は『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』を読んで、執筆している時点で、若泉さんはすでに精神疾患にかかっておられたと思います。あくまでも私の個人的な感想です。そして、「遺書がない」とされていますが、私は、『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』が若泉さんの遺書なのだと思います。
報告書は、若泉さんの功績として、
(抜粋引用はじめ)
他方で、若泉―キッシンジャー・ルートが果たした役割を否定することはバランスを失することになろう。何故なら交渉経緯の全体を見た場合、キッシンジャーというユニークなスタイルを持つ強力な外交指導者との交渉において落としどころを探っていく上では、若泉―キッシンジャー・ルートが開かれたことは大いに評価できるからである。このルートを通してニクソン大統領の意向が佐藤首相に届いたことの意義は大きいと言えよう。
(抜粋引用おわり)
と書き記しています。が、この文章には、若泉さんが情報を抱え込んでお亡くなりになったことへの配慮がある、と私は感じました。
若泉さんが「公文書の保管と公開のルールがしっかりと決められた国」--欧米ではこのような政治体制を「デモクラシー」と呼ぶようですが--そういった国に若泉さんが生まれていれば、いずれ重荷は解けるのですから、良心の呵責にかられて著作を書き、自殺する必要は無かったと思います。
ディスクロージャーで重荷を解く。ディスクロージャーで救える命もある。しっかりとディスクロージャーする国を作っていきたい、と改めて感じました。








