[訃報]吉田公一・元新生党衆議院議員、享年77、肺がん、吉田先生と秘書のみなさまには感謝、感謝、感謝ばかり

  • 2018-7-31
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 吉田公一新生党衆議院議員元民主党衆院議員の吉田公一氏死去)が77歳で、おととい亡くなった、という報道が夕べでました。衷心よりの哀悼。そして、吉田公一・東京9区総支部長とその秘書・スタッフのみなさまに、元新生党東京11区総支部員より、心より感謝、感謝、感謝、感謝、感謝を申し上げます。注・9区と11区は小選挙区比例代表並立制移行後であって、新生党時代(中選挙区時代)とは一致しません。

 新生党民主党衆議院議員、農林水産副大臣を歴任された、吉田公一先生は、おととい、平成30年2018年7月29日(日)午後10時40分、肺がんのため東京都内の病院でお亡くなりになりました。享年77。葬儀は8月4日午前11時から東京都練馬区春日町4の17の1の愛染院会館で。喪主は妻和子(かずこ)さん。

 私は大学生・改革フォーラム21(自民党羽田派)→新生党時代に、ご指導いただいた先生をあまり言及しませんが、これは、松下政経塾出身の古山和宏さんで、大学5年間、ぞっと板橋区内の総支部には通っていました。ご存知の通り、古山さんが当選することはありませんでした。古山さんが永田町事務所を持つことがあれば、私のキャリアパスは、やや違ったものになっていたかもしれません。

 東京9区総支部はドタバタでしたから、吉田先生率いる、東京11区総支部板橋区の4割の区界は練馬区と接している)のスタッフのみなさんにはお世話になりました。まず、出馬歴では1期先輩の古山さんは、吉田都議のパーティに出席。私も同伴。ここで、吉田都議を支える区議のみなさんは「あれ、中村先生からのお花が来てないな」。吉田都議は、系列の中村靖衆議院議員中村梅吉衆議院議長の子、その後未入閣のまま引退)から離れる格好で、新生党公認で衆院選に出馬。4人区でしたが、新生党ブームの中で初当選。この選挙区では公明党さん公認の石井啓一・現国交大臣も初当選し、自民党は新人の小林こうきさんが初当選し、中村さんは入閣適齢期・都連幹事長ながら落選しました。他の選挙区では、新生党西川太一郎都議(現・荒川区長)も初当選し、議員会館は隣同士でしたが、両先生の折り合いは良くなかったようです。

 私は、月刊都議会リポート(行革で廃刊)を読んでいましたが、吉田先生の都議時代の質疑は、リベラルそのもの。我々新生党は連立をともにした公明党さんから「極右政党」という誤ったイメージを持たれましたが、吉田先生はリベラルそのものでした。我々政治改革派に共鳴して、宮澤解散のかなり前から、小沢一郎先生の公認内定をとっていたと思います。

 東京11区のパーティーでは、吉田代議士が応援に。吉田先生は下町のミッチーともいっていいほど、渡辺美智雄さんのように演説がうまく、笑わせ上手で、親しみやすく、政策通でした。あるときは、「狂犬病の注射をしているが、実は日本で●●年も狂犬病は発生していない。これは獣医師会の利権なんです。こういうのを改革したい」と聴衆の関心を呼びながら、「実は先ほど挨拶して、今ほど退席したばかりの、先輩の北村直人先生、あの人獣医師さん」と笑わせながらも、私は「勇気のある先生だな」と感じました。このときは、私たちの連絡ミスで、北村先生ら退席後に、吉田先生到着まで、数分間の時間があると勘違いしてしまい、早めに乾杯をしてしまい、食事をとりだす数十秒前に吉田先生到着ということになりましたが、「どうぞみなさん、お召し上がりながら聞いてください」と機転を利かせてくださり事なきを得ました。

 羽田孜小沢一郎軍団の強さの象徴、箱根での新生党合宿。夜は酒盛りですが、この場でも、なんとなく都連中心に集まりますから、吉田先生の秘書と、古山さんの秘書が小学校の同級生だということが私によって判明する、という機縁もありました。だからどうしたという機縁ですが(苦笑)。

 以前も書きましたが、私がまさに冷や汗を書いたのが新進党時代の参院選。11区は、旧公明党出身の太田昭宏代議士が自ら比例転出を表明するというおどろくべき展開で、両者とも地盤の、小選挙区9区・11区での次期衆院選の公認を取れました。そして、新進党は組織を束ねるために、参議院東京選挙区で、魚住裕一郎候補(現公明党参議院会長)1人だけを擁立。夜の選対で、西新宿の事務所に行った際は、東京1区から、25区まで順にその日の情勢を報告。1区、2区、3区・・・と順に来て、でも、11区の私は当時学生で日中は入れてなかったので何も話せませんよ。以前にも書きましたが、この会議の司会役は、9区総支部で、新生党時代から旧知の秘書さん。何も話せない11区の私に、一般的に答えられるはずの自民党都議2人の対立(田中晃三、下村博文両都議)状況について質問してくれて、別に年中話せるはずの、田中、下村両都議の対立を説明して、さまになりました。これは、もう感謝、感謝、感謝、感謝の一言です。この選対は本部長、事務局長、そして夜の選対司会役まで旧新生党がやっていて、このことが、その後の東京都連での大敗、新進党分裂の遠因になったかもしれないとも思います。

 その後、吉田先生は、選挙区で自民党公認ガッツ石松さんと、96民主党さん公認の小川敏夫さんの挟み撃ちにあいながらも、強靭な足腰で再選。さらに、自民党で満を持して登場した、菅原一秀さんにも次の選挙で勝ちました。しかし2003年の選挙では、どういうわけか、吉田vs菅原なら、若い菅原さんの方がフレッシュというイメージが選挙区内でできてしまったようで敗れました。また、諸事情があったんでしょうが、私が取材できない時期に、吉田先生は、民主党羽田グループから民主党鳩山グループに移ったようですが、これはまあ賢明だったのかもしれません。そして、2009年に比例で復活。農林水産省の政務三役として、両院議員総会で発言し、「前日、日程表に3つぐらい官僚のレクシャーが入っていると、全部切っちゃうんだよ」との政治主導をスピーチ。これには、民主党議員は大爆笑。私は、吉田先生の言う通りだと思います。民主党政権は、総理大臣まで財務省のレクチャーに洗脳されてしまい、大惨敗を喫します。

 その後、吉田先生は、政治資金管理団体を解散。このとき、全国で気づいたのは私一人でしょうが、百数十万円ほどの残金を国庫に返納していました。通例、百数十万円でも、個人に寄付したり、自著を購入したりして、ゼロ円にしてから解散するのが普通です。吉田先生は、「吉田パイプ工業社長」の肩書もあったため、お金にクリーンではないのではないかとの予断を持ち、東京だから取材しやすいと勘ぐる記者もいて、私は2~3度そういう趣旨の質問をされたことがあるような気もしますが、この百数十万円国庫返納をみても、クリーンだった。上述で、細川・羽田連立内閣の頃に公明党さんから「極右政党」という間違ったイメージを持たれましたが、新生党結党時に、河野洋平官房長官(のちに自民党総裁)から「自民党が改革しなければならないのはなにか。それは出て行ったあの人たちの体質そのものではないか」と新生党官房長官会見で批判し、自民党内も含めて批判・賛同が出ました。私も学生の立場で、新生党はクリーンでなかったかもしれません。ただ、それは、バブル末期で、自民党竹下派にはお金がある人が集まっていて、あの時の議員・秘書会青年部で逮捕された人はいるでしょうか。学生塾の3代目の代表だった石川知裕さんだけです。学生ながら、クリーンではないかもしれないが、我ら改革派だという意識は強かった。羽田内閣では、新生党新生党秘書会青年部・学生塾は鬼の団結を示しました。これは、少数与党だったからですが(苦笑)、あのころの、都連の3区のメンバーで、「実はあのとき、宣車で怪我して羽田内閣の2か月間は病院に居たんです」という告白を聞いて、「それ言わなきゃ分からないですよ、先輩はみんな、我々新生党の仲間だというイメージしかないから大丈夫」。まあ、私は当時大学3年生の末席ですが、今でも新生党の仲間では、そういう話をします。

 吉田先生は、私が知る1993年ごろから、ずっと、脚をひきずっておられました。

 吉田先生。吉田先生の秘書のみなさまが今どうしているのか一人も分からないのですが、本当に、感謝、感謝、感謝、感謝、感謝、感謝、感謝、感謝、感謝、感謝ばかりです。

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