
[画像]中島衛・元新生党衆議院議員、文部科学省の「歴代大臣」のホームページからお借りしました。
新生党結党(衆院側)35人衆の一人で、宮沢解散の朝に、予告通りに国務大臣を辞任した2人のうちの1人である、中島衛(なかじま・まもる)先生がきのう、2013年11月5日(火)朝、亡くなったそうです。享年77。旭日大綬章。新生党政調会長を経て、新進党結党に参画。最初の小選挙区では、先日亡くなったライバル・宮下創平さんに苦杯をなめ、落選しました。
もともと、1992年12月、我々改革フォーラム21(自民党羽田派)から2人が入閣。これは、入閣を拒むと、離党せざるをえないからで、中島衛さんと畑栄次郎さんが、派閥推薦リストで、宮澤喜一総理(自民党総裁、宏池会会長)に提出されました。しかし、結果は、中島衛・科学技術庁長官と、38歳の船田元・経済企画庁長官となりました。これは明らかな宮澤系の分断工作でしたが、「政治改革、小選挙区による政権交代ある政治がイチバン大事だ」との考えで、受け入れることになりました。中島大臣に関しては、秘書を務めた金丸信・自民党衆院議員の意向があったとされています。
その後、宮澤内閣が通常国会で、政治改革関連法案を廃案にしたため、事前予告通り、1993年6月18日、中島大臣と船田大臣は辞職。その夜、中島議員と船田議員を含む、新生党35議員は、宮澤内閣不信任案に賛成。6月23日新生党を結成しました。
細川・羽田内閣で、平成6年政治改革4法により、悲願の小選挙区制が導入。
しかし、このとき、小選挙区の厳しさというものがありました。新潟県では、星野行男さんが、いったんブランクがあった田中角栄ファミリーから、田中真紀子さんが出馬するため、小選挙区で激突するという悲劇となり、星野さんは落選。長野5区では、宮下創平さん(自民党清和会)vs新進党・中島衛さんが激突。宮下創平さんも先日亡くなりましたが、私は志の強さだけは中島さんが勝っていたとは思いましたが、総合的な評価の中で、宮下さんが衆議院の議席を続投し、厚生大臣や税制調査会の中堅となっています。
田中角栄さんの第一秘書である、佐藤昭さん(佐藤昭子さん)とも仲が良く、雀卓を囲んだ際に、「行ったり来たりはあってかもしれないが、趣味の麻雀だ」と大臣記者会見で発言し、記者から「趣味ならば、何が行ったり来たりしたのか?」と詰問され、閉口してしまう場面もありました。政治改革はクリーンな政治ならば、たしかに日本新党や新党さきがけのイメージが強かったかもしれませんが、私たち新生党が衆議院小選挙区をつくったことで、お金で勝てない厳しい選挙制度と、政権交代ある政治による派閥順送り廃絶を勝ち取ったということをどうかご理解いただきたい。そもそも、大臣やめて当夜に議員として不信任案に賛成することを事前通告通り遂行し、それをとがめられないという政治行動をとれる政治集団がいるでしょうか。21年経って、しっかり花開いたといえます。私が、絶対にその種を守っていこうと考えます。
なお、葬儀委員長には、金丸信事務所・中島衛事務所の師弟関係にある、吉田博美・参議院自民党幹事長代理が就任し、経世会・平成研究会という、もう一つの政治の背骨を継承していくことになったそうです。
中島先生は民主党長野県連顧問でした。同県連では、羽田孜第80代首相(前3区総支部長)が最高顧問。そして、旧中選挙区2区で、父の代から羽田ファミリーとライバルだった社会党・政権構想研究会の堀米征雄さんがもう一人の顧問をしています。同県連は、1区、3区で現職が小選挙区勝ち抜けており、2区、4区も前職が1次集約1次公認で総支部長に返り咲き。一方、5区だけは、民主党を離党した前職が生活の党も離党して政界引退して、総支部長不在となっています。







