宮崎信行:プロフィール

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昭和49年(1974年)生まれ。本籍地は長野市。
小学生の頃、用途地域の違いで、道を隔てただけで街並みが変わることから行政・政治への興味を持ちました。
1992年、早稲田大学政治経済学部政治学科に入学。学士(政治学)。
入学と同時に、「早大鵬志会(そうだいほうしかい)」というサークル(現在は大学公認同好会に昇格)で活動しました。 選挙や日常活動のポスター貼り、ポスティング、名簿作りなどのボランティアや、各種勉強会、講演会のお手伝いなどをし、生の政治に携わりました。
また、入学時、唯一の自由主義政党だった与党・自民党の学生組織「全国学生交流会」にも入りました。 政権交代可能な二大政党デモクラシーをめざし、宮澤解散による、 1993年7月の第40回衆院選(最後の中選挙区選挙)では学生ボランティアを率いて新生党で旧東京9区(中選挙区)で活動しましたが、候補者は次点で落選。
自民党全国学生交流会の幹事と会員を辞し、「新生党学生塾(学生部)」の発足に参画。幹事や会計担当を務めました。
早大鵬志会幹事長時代には、羽田孜前総理大臣(直後に新進党副党首就任)の講演会を大隈講堂で開催し、1300人前後という空前の聴衆が集まりました。
新進党結党準備会の手伝いで、党名公募の集計をしました。
1995年
1995年の統一地方選では、新進党公認の板橋区議会議員候補の陣営で、学生ながら電話作戦隊長を務めて、2位での初当選を実現しました。
大学卒業後、日本経済新聞(日経)に入社しました。入社と同時に政治部配属となり、、橋本龍太郎首相の番記者を1年間務めました。官房長官記者会見や総務庁(現・総務省)、総理府(現・内閣府)など様々な取材に駆けめぐりました。
1998年3月、野党担当になり、新党友愛(中野寛成代表)のメイン担当と第1次民主党のサブ担当を務めました。
4月の第2次民主党結党までの過程を取材。 第18回参院選の選挙班、第2次民主党の黎明期を取材しました。小渕恵三・自民党総裁候補(外相)の番記者もつとめました。
1998年9月、横浜支局に転勤しました。
横浜市役所記者クラブ自席で横浜市予算書を読み、 分からないことや興味があれば、内線で課長に電話し、面白そうなら、すぐに庁舎内のその部署に赴き、 直接取材に出向いて、みっちり質問と取材をしました。

この後、神奈川県庁記者クラブに移ってからも、大蔵省出身の知事による 「財政非常事態宣言」の下、税制・財政に関して、取材することができました。 とくに「臨時企業特例税」(その後違憲判決で廃止)では多数の記事を作成。 政令市をめざす相模原市、特例市になった大和市、富裕団体(地方交付税不交付団体)の厚木市などの予算も取材しました。 これで、地方財政に詳しくなりました。「日経会社情報」という株式情報季刊誌も担当したことで、 上場企業の財務諸表、バランスシートなどにも詳しくなりました。地場サービス業、中小製造業の現場も回りました。
2002年3月、「日経産業・地域研究所」研究員になりました。
雑誌「日経地域情報(現・日経グローカル)」の編集・執筆を担当し、全国の自治体を回りました。
2005年9月
2005年9月、日経を退社し、父が創業・経営する、工作機械販売会社に入社。個人事業である貸家業の実務を担当。
2006年
2006年、貸工場業を自ら立案・企画し、開業まで一貫して行い、個人事業として起業。
2007年
2007年7月の第21回参院選のころから、体がうずき、7月25日の富山出張からフリーランスの政治ジャーナリストとして独立。

2007年8月4日の第167臨時会からブログ「宮崎信行の国会傍聴記」を立ち上げました。
政治部記者時代にできなかった国会審議をじっくり聞き、政治の流れを報じる日本初のブログとして、好評をいただきました。
2009年
2009年2月の通常国会では、衆院予算委員会の総予算審議で、野党・民主党議員の質問パーフェクト傍聴を達成しました。

2009年8月30日、17年来の夢だった政権交代が実現しました。所期の目的を達成したので、ブログはやめようかとも思ったのですが、 「政権交代可能な二大政党デモクラシー」をしっかり日本に定着するまでがんばろうと考え直しました。

2009年10月から、会員制ブログ「宮崎信行の今後の政治日程」を開始。毎月安定した購読者さまにおささえいただいております。
2010年
2010年4月21日放送のフジテレビ(地上波)「百職王」で、「国会傍聴の達人 宮崎信行」として特集されました。

司会のイノッチこと井ノ原快彦さんと宮崎信行、2010年4月21日放送のフジテレビ「百職王」から宮崎信行がスクリーンショット。

2012年
2012年11月27日には岡田克也副総理の記者会見(内閣府)と 野田佳彦総理の記者会見(民主党本部)の両方でトップバッターで質問する快挙。 同日に、総理、副総理の会見の両方でトップバッターをつとめたのは、記者クラブ分業制のメディアでは史上初かもしれません。
2012年から2015年まで
「週刊女性」(主婦と生活社)で「気になるニュースの言葉」連載。
2014年
2014年4月、テレビ朝日「激論どっちマニア」で「裁判傍聴マニアVS国会傍聴マニア」に登場。

画像左画像上:2014年4月、テレビ朝日画面からスクリーンショット。
画像右画像下:2016年7月10日のIWJ(インディペンデント・ウェブ・ジャーナル)動画から、宮崎信行がスクリーンショット。

2015年
2015年9月、工作機械販売会社の株主総会で代表取締役に選任され、直後の取締役会で専務取締役に就任。
2016年
2016年3月25日(金)の民主党最後の記者会見で第一質問者と(議事録上の)最終質問者及び、 2016年3月27日(日)の民進党最初の記者会見で、第一質問者になりました!
岡田克也・民主党代表と、宮崎信行ら記者会見出席者の記念撮影、2016年3月25日、旧民主党撮影・提供。
改憲発議勢力3分の2をめぐって歴史的攻防となった、第24回参院選(2016年7月10日)では、 IWJ(インディペンデント・ウェブ・ジャーナル)で、全5回で情勢分析及び開票特番(5回目)に参加しました。総計22時間。
2016年
2016年9月19日、ブログ「宮崎信行の国会傍聴記」が通算1500万PV(ページビュー)を達成しました。
2017年
毎日新聞2017年7月11日付朝刊にインタビュー掲載。
2018年
10月、父逝去に伴い宮崎機械株式会社の第2代社長に昇格。100%株主となり、祖業である機械販売業に限り廃業し、法人は継続中。
2019年
共同通信きさらぎ会正式会員として入会が認められ、東京本部所属。サイバーエージェント・テレビ朝日系インターネット「アベマTV」にたびたび出演。
2020年
菅義偉・首相就任、枝野幸男代表率いる「新・立憲民主党結党」の大政局での報道が評価され、ページビュー数激増。また貸店舗業にも新規参入。