新進党解党史 辛くても書かねばならない

 新進党解党の歴史は、私にとって、傷口に塩水を塗り込むようなもので、筆舌に尽くしがたい辛さがあります。

 このエントリー2月に、私のツイッターの方で、「新進党の歴史を知りたい」というご要望にお応えし、1時間ほどで勢いで書いた新進党解党の歴史のツイートをまとめたものです。まとめたというよりも、箇条書きの状態です。

 もう少しまとまったものを書くには、時間が必要か、あるいは私の手には負えません。新進党解党の歴史を知ってください。

 では、まとまりのない文章で失礼します。(固有名詞を部分的に書き直しました)。

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  新進党解党について知りたいという方がいらしたので、少し書きます。新進党は首相経験者で自民党を離党した海部俊樹党首でスタートしましたが、小沢一郎幹事長側近議員(今はみんな落選しました)が専横を極めました。最初の小選挙区選挙では、小沢さんの戦略ミスと直前の鳩菅民主党結党があったのもかかわらず156議席を取りました。

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 156議席(当時は衆院の定数は500)といったら、今の野党第1党・自民党よりも3割ほど多い議席を持っていました。もしも、鳩菅民主党選挙協力して、30選挙区ほどの自民党議席をひっくり返せば、第42回衆院選政権交代は可能だったと思います。ところが、その前に新進党は解党しました。

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 例えば、民社党出身の川端達夫さんは、新進党を離党して、その後復党しました。悩んでいたのでしょう。自民党亀井静香政調会長らの「新進党創価学会だ」というネガティブキャンペーンに、創価学会員の秘書団による国会バリケード封鎖で抵抗するという戦術ミスもありました。これも小沢執行部の浅知恵によるものです。

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 党首選も小沢軍団は強いのはいいとしても、やり方が極端で、敗戦後の羽田孜陣営がその尊厳を傷つけられて、離党せざるを得ないところまで追い込みました。このとき羽田陣営で、北澤俊美さんは羽田さんと行動を一にし、一緒に離党し、太陽党を結成。一方、“脱出ボート”に乗り込むかどうかの瀬戸際で、岡田克也さんは「二大政党制の実現」のために新進党に残る決断をしました。

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 それでも二大政党のために新進党を立て直そうという機運は健在でした。1997年11月の党首選には、閣僚経験2回(農相、総務庁長官)があるとはいえ、ダークホース的存在だった鹿野道彦さんが敢然と出馬しました。鹿野さんというのは小沢さんよりも腰が高いという「珍しい政治家」でしたが、(笑)、「小沢230票」対「鹿野182票」まで追い上げました。

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 これに驚いた小沢さんは、鹿野さんに投票した人の排除をめざして「純化路線」という言葉を党運営に使い出しました。ちなみに「純化」とは、国によっては、少数民族の虐殺や混血推進(すなわち・・・レイプということです)に使われる恐ろしい政治用語です。小沢一派は、党内の不満分子を「分党」という格好で、新進党から追い出そうとしました。ここで甘かったのは、小沢一派は、「純化」をしても野党第1党の地位は保てると考えていたことです。実に甘い認識です。

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 新進党は1997年12月に分党しましたが、これは今の歴史では「新進党解党」と呼ばれます。新進党は8つの政党に大分裂してしまいます。細川護煕元首相は「フロムファイブ」、岡田さんと鹿野さんは「国民の声」、神崎武法さん、冬柴鉄三さん、浜四津敏子さんら創価学会員は「新党平和」、旧自民党議員ながら創価学会の支援も欲しい首都圏の議員は「改革クラブ」(石田勝之幹事長)、中野寛成川端達夫直嶋正行さんら旧民社党は「新党友愛」・・・

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 第1次民主党(鳩菅共同代表)、新党友愛中野寛成代表)、太陽党(羽田党首)、国民の声、民主改革連合土肥隆一幹事長)らは1998年の通常国会統一会派民主友愛太陽国民連合」(民友連)で臨みました。そして、小沢党首率いる「自由党」は「純化」の結果、なんと野党第2党に転落してしまったのです。

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  通常国会中に、「民主友愛太陽国民連合」は第2次民主党を結党しました。結党大会の司会は、岡崎トミ子さんと松沢成文さんでした。野党第2党は自由党、(小沢党首・野田毅幹事長)、そして、創価学会員のほとんどの議員は野党第3党の「新党平和」(後に「公明党」に名称復帰)になります。

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 民主党結党からわずか3ヶ月で臨んだ1998年の参院選民主党は大勝し、その日のうちに橋本龍太郎首相は退陣。「官邸の森蘭丸」とまで呼ばれた首相秘書官(政務)の江田憲司さんも、突如、失業してしまいました。自民党総裁小渕恵三さんになります。野党第2党になった小沢自由党はあせって、小渕内閣と連立。さらに野党第3党の公明党も加わり、「自自公連立」に。自民党は息を吹き返し、政権交代ある二大政党制は遠のきました。

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 新進党解党当時、渡部恒三さんは衆院副議長でしたので、慣例にもとづき無所属となっていました。第2次民主党結党大会の来賓としてあいさつし、「私が(副議長退任後に)帰る家を作ってくれてありがとう」「山一・拓銀ショック。今解散があったら、政権交代できた」と語りました。そして、「もしも新進党が残っていれば政権交代できた・・・あっ、そこに小沢君がいた。来賓だって。よく恥ずかしげもなく来られるね」と語ると満場が嘲笑の渦になりました。議員も秘書も記者も、来賓としてやってきた小沢一郎自由党党首を指さし、嘲り笑いました。

 ◇

 当選2回生の河村たかしさんは、世渡り失敗で、新進党から自由党に行ってしまいましたが、小沢党首に敢然と離党の理由を口頭で述べて、離党届を出しました。半年間ほど無所属で「黒い経歴ロンダリング」をして、1998年暮れに民主党に入党しました。

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 (ツイッターでのやりとりです)。

 @M2_sado そうです。あの(今国会で衆院予算委員長を務めている)鹿野道彦さんです。新進党党首選に出た時点で、元農林水産大臣・元総務庁長官という2つの閣僚経験がありました。山形新幹線を引いた実績もあります。政治改革の夢をめざして自民党三塚派から新進党に移りました。当時も今も清和会出身は民主党で珍しい存在です。

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 @haruo6 ありがとうございます。新進党史は僕も辛くて、ブログにまとめたことがありませんでした。当時を知っている議員や秘書ともその話はあまりしません。友達の離婚や再婚の話にあまり触れないような感じです。きょうはツイッターをつかって、カンタンに書いてみました。

【追記 2011-3-11】

 このエントリーは初投稿から1年経っても、連日数十人の方に読んでいただいています。資料的価値を高めるため、1994年12月10日の新進党結党大会(パシフィコ横浜)に参加した国会議員(当時の現職のみ)リストを掲載します。

1994年(平成6年)12月10日の「新進党」結党大会に参加した国会議員一覧

 【衆議院議員

 ◇旧新生党 愛知和男愛野興一郎青木宏之粟屋敏信井奥貞雄井上喜一、石井一、石破茂、岩浅嘉仁、上田清司江崎鉄磨小沢一郎小沢辰男岡島正之岡田克也奥田敬和加藤六月、金子徳之介、木村守男、北村直人、工藤堅太郎、熊谷弘小坂憲次古賀一成古賀敬章古賀正浩左藤恵佐藤守良笹山登生実川幸夫柴野たいぞう白沢三郎、杉山憲夫、田名部匡省高橋一郎、月原茂皓、土田龍司豊田潤多郎、中島衛、中西啓介、仲村正治二階俊博西川太一郎羽田孜畑英次郎広野允士、吹田、藤井裕久、船田元、星野行男前田武志増田敏男松沢成文、松田岩夫、宮本一三村井仁山岡賢次山田正彦山本幸三吉田公一渡部恒三

 ◇旧公明新党 青山二三、赤羽一嘉、赤松正雄、東祥三石井啓一石田幸四郎石田祝稔市川雄一、上田晃弘、上田勇遠藤乙彦、遠藤和良、大口善徳大野由利子太田昭宏、近江巳記夫、長内順一、貝沼次郎、河合正智、河上覃雄、神崎武法北側一雄、久保哲司、草川昭三、倉田栄喜権藤恒夫佐藤茂樹、斉藤鉄夫、坂口力田端正広高木陽介、竹内譲、谷口隆義千葉国男富田茂之、鳥居一雄、西博義、日笠勝之、東順治、平田米男、弘友和夫、福島豊、福留泰蔵、二見伸明、冬柴鉄三、桝屋敬悟、宮地正介、森本晃司山口那津男、山田英介、山名靖英若松謙維

 ◇旧日本新党 阿部昭吾、伊藤達也今井宏江田五月鴨下一郎河村たかし小池百合子、木幡弘道、鮫島宗明、須藤浩、武山百合子樽床伸二中田宏中村時広永井英慈長浜博行野田佳彦初村謙一郎藤村修細川護煕松岡満寿男矢上雅義山崎広太郎山田宏山本孝史渡辺浩一郎

 ◇旧民社党 安倍基雄、青山丘伊藤英成、石田美栄、川端達夫、神田厚、北橋健治小平忠正笹木竜三高木義明、塚田延充、中井洽中野寛成西村真悟柳田稔吉田治、米沢隆

 ◇旧高志会 今津寛海部俊樹野田毅、野呂昭彦、保岡興治

 ◇旧新党みらい 鹿野道彦北川正恭坂本剛二佐藤敬夫増子輝彦

 ◇旧改革の会 石田勝之大石正光笹川尭西岡武夫鳩山邦夫

 ◇旧自由党 新井将敬太田誠一高市早苗、山本拓、米田建三

 ◇旧リベラルの会 川島実、山口敏夫

 【参議院議員

 ◇旧新生党 石井一二泉信也北沢俊美釘宮磐、小林正、木暮山人、田村秀昭永野茂門野末陳平林寛子平野貞夫星野朋市、松尾官平

 ◇旧公明新党 牛島正、刈田貞子、黒柳明、木庭健太郎白浜一良高桑栄松、続訓弘、常松克安、中川嘉美、広中和歌子、矢原秀男、和田教美

 ◇旧民社党 足立良平、井上計、勝木健司、寺崎昭久直嶋正行長谷川清吉田之久

 ◇旧日本新党 寺沢芳男、円より子

 ◇無所属 都築譲、中村鋭一

 以上
【追記おわり】

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