
[写真]民主党の大畠章宏幹事長と自民党の梶山静六元通産大臣(故人)、梶山さんの画像は、梶山弘志衆院議員YouTubeチャンネル内動画からキャプチャ。
民主党の大畠章宏新幹事長(衆茨城5区)は、2013年8月1日(木)、就任後初めての記者会見にのぞみました。
この中で、「私の政治の師は梶山静六先生だ」と意外な一面をあかし、野党第1党幹事長として、警護官(SP)を断ったことに言及しました。
大畠幹事長は、冒頭発言で「幹事長として初めて会見にのぞみます」「党の厳しい状況の中で国民の信頼を回復するようがんばっている海江田代表を支えていきたい」「1990年初当選から24年間国政で仕事をしました。私の持つ政治経験をすべて幹事長職に吐き出して、民主党の真の姿をお伝えできない現状を打破します。まずは様々な形で行動していこうと思います」と語りました。
質疑応答の中で、記者から「SP(警視庁の警護官)がついていないようだが」との指摘があり、私も初めて気づきました。
これについて大畠さんは
「私も経産大臣と国交大臣のときにSPの方がついていただきました。これは大変なんです。常に、まあ24時間とは言いませんが、どこに行くのにもSPの方がついておられました。かつて日本の国の総理大臣にも警護をつけなかったときがありましたよね。しかし、いろんな事件が起こったり、ピストルで撃たれたりということがありまして、基本的に警護をつけようということになったんですが、今12も政党があるわけですから、すべての政党の幹事長に警護をつけることになりますと大変な陣容になります。そういうことから、警備のほうからどうしますかというようなお話があったようで、政治家というのは常にそうでありますが、どのような状況になったとしても、別に私は意に介しませんと。したがって、1つの基準があるでしょうから、民主党も116人の国会議員の体制になりましたから、そういう基準で考えていただければ結構ですよということで、SPの警護についてはお断りをしたということです」と男気を見せました。
ただし、「万一不穏な状況になればつけることもある」として、警視庁の治安維持に協力する考えを述べました。

[写真]SPをつけずにリラックスして語る、大畠章宏・民主党幹事長、2013年8月1日(木)、民主党ホール、筆者(宮崎信行)撮影。
筆者も質問し、大畠さんが前回の野党(ネクスト金融担当相)として最後に臨んだ2009年2月27日の衆・財金委で、麻生総理(当時)に対して、1999年9月末日におきた「JCO臨界事故」に関して、大畠さんが梶山静六さんとの仮払い金についての対応を披露した上で、「かつての自民党には情(じょう)というのがあったのですよね。「情と理」という本を後藤田正晴先生が出していますが、小泉さんになってから、情の部分はもう全部切っちゃう、理屈だけだ。やはり政治には情が必要なんですよ」と、自民党に情がなくなったと指摘していることについて、「私も同感だが、民主党も情が足りないのではないか」と筆者が指摘しました。
大畠さんは「私も思い出しました。JCO事故では茨城県選出の超党派の国会議員団で、私が事務局長になって、『被害額が確定しないと賠償金を払えない』と国と県と東海村が責任をなすりつけあっていたところに、この際、国は被害額のおおよそ2分の1を払ったらどうだ、ということで、11月30日に、企業家の方は、年を越すわけにはいかない、臨界事故によって倒産する企業は極力なくそう、として夜中の12時までに必ず払わせた」との野党・民主党時代の実績を披露。
そのうえで、「政治というのは理(り)だけではなく、情(じょう)が必要だ。民主党のなかに情が薄い傾向があるかもしれない。しかし、民主党には地域の(総支部長ら)優秀な方も多く、情と理の両方が大事だということを浸透させていきたい。私も(豪雨被害対策本部長として)山口、島根にも行ったが、自分の家の中に泥水が入ってきたらどうするか考えて欲しい。生活再建に向けて民主党の若い(現前)議員のみなさんもぜひ、党派を超えて先人に見習って欲しい」と語りました。
[写真]山口・島根豪雨対策本部長として被災地を視察した大畠章宏幹事長、2013年7月31日、島根県内、民主党ホームページから。
目標としている政治家としては、「梶山静六先生だ」と語り、「私は(1990年初当選時の)スタートは社会党だったが、梶山先生がご尊命だったら、どういう(森・小泉以降の2000年代の)自民党だっただろう。梶山先生は私に「大畠さん、いい戦争と悪い戦争とあると思うか。最終的には人が人を殺すということが戦争の実態なんだ。いい戦争と悪い戦争とあるわけがない。両方ともだめだよ」とおっしゃった。たしかに東京はたくさん仕事があるかもしれながい、地域も大事だ。山口の集落で殺人事件があったが、年齢構成を見ると、超競争社会、弱肉強食社会のひずみを感じる。愛郷無限(あいきょうむげん)で、それぞれのふるさとを大事にしようというの政治家としての私の心情だ」と語りました。
ちなみに、大畠さんと梶山さんは同じ中選挙区で、議員宿舎も途中から同じ旧九段宿舎だったようです。中選挙区時代の自民党議員と社会党議員が仲が良かったというのは、まさに55年体制・国対・料亭政治の申し子ということにもなります。私は日本の議員宿舎制度に対して否定的です。とはいえ、そういったつながりが、我が国最初の原子力発電をめぐる労災(3人)死亡事故であるJCO核燃料工場の臨界放射能漏れ事故で、一般市民の被災者が2ヶ月後に仮払いを受けるという超党派の政治決断があったことを、私は初めて知りました。梶山さんはこの翌夏、亡くなりました。

[写真]1999年9月末日、核燃料工場からの放射線漏れで避難した住民の前で土下座するJCOの木谷宏治社長ら、1999年10月1日付朝日新聞、第1社会面。
梶山さん、後藤田さんとも、自民党経世会ということになります。衆院小選挙区二大政党制の歴史を切り開いた「宮澤解散」では、宮澤総理・総裁を梶山幹事長が会期末ぎりぎりのところで、支えきれずに不信任可決・解散となりました。この背景に、宮沢さんは大学生のときに太平洋戦争になったものの、大蔵省に就職し、軍に入っていない一方、梶山さんは志願して陸軍航空士官学校に入った経歴の違いの心情的な対立があったとされています。極限状態になった人は、総理だろうと自民党幹事長だろうと本質は変わりません。最後の最後は理屈ではなく、情なのです。








