僕の「先生」 2014年、平成26年ありがとうございました。

 「私(わたくし)はその人を常に先生と呼んでいた。」

 ことし、2014年平成26年4月20日付の朝日新聞漱石夏目漱石)の「こころ」、そして、10月から「三四郎」が連載されており、毎朝必ず読んでいます。もちろん政局記事を先に読みたいことは多々あり、とくに9月3日の内閣改造の当日は、「こころ」を読み忘れている自分の慌てぶりを戒める材料となりました。

 何があっても、動じない自分に少し成れた気がします。

 私はことし3月、40歳になりました。自分なりに重大な意識付けで臨んだ一年でした。本当に良い一年でした。支えてくださったすべてのみなさまに感謝します。そして、来年も、まあ、ことしと同じことを同じようにやっていこうかなと考えています。

 「四十代は胸突き八丁であり、心臓破りの丘である」、「四十代においては、自分の体験してきた仕事の分野では完全なエキスパートになっていなくてはならないし、また、この点ならば、他の人より秀でている点を持っていなくてはならない」、「四十代に入ったら、家庭も妻子もかえりみられないほど忙しい時期が、四十代を通してか、四十五歳前後のかなり長い間か、あるいは二度か三度にわけて、激しくやって来ないようでは、サラリーマンとしても、企業経営者としても、個人商店の経営者としても、完全に落第なのである」。

 これは、鈴木健二さんの「男が40代にやっておくべきこと」という新潮文庫の一節。私が尊敬する、私の父(80歳)が、この本を持っていたのを記憶しており、古本を探して、赤線を引きながら読んで、40歳の誕生日を迎えました。40歳の最初の数え1年は、おかげさまで、政治記事の依頼も増えたし、会員制ブログの読者も解散直後に大幅増となりました。

 さて、「先生」ですが、国会議員を「先生」と呼ばずに「さん」と呼ぶようになったのは、平成5年(1993年)ごろから、羽田孜さんの教えです。残念ながら、第47回衆院選では、60年間守った、羽田後援会「千曲会」が議席を失うことになりました。突然の衆議院解散ということですが、私は「解散はいつも突然」という感じでいますので、すぐに選挙に頭を切り替えました。ただ、「なぜ解散」ということが、インターネット上で話題になったようです。

 このブログでは言及しなかったのですが、7条解散は苫米地訴訟で結論が出ていると思いきや、芦部信喜著「憲法」によると、「この問題は、そもそも憲法の不備に由来するもので、どの見解が正当であるかを決めることは難しい」とあります。つまり、芦部憲法も、7条解散を合憲とは判断していません。

 かつて番記者としておつかえした、中野寛成先生は衆議院本会議での最後の質問演説の中で次のように語っています。

 「私は、国際社会と日本の現状を見るとき、政争に明け暮れしている場合ではないと思います。まして、あえて私見を申し上げれば、内閣不信任決議を経ずして行われるいわゆる憲法七条解散は、私は今なお憲法違反だと考えております。衆議院議員は、国民によって与えられた四年間の任期を使命感を持って全うし、その責任を果たすべきだと信じます。そうでなければ、日本政治は、衆参のねじれの中で、世界に恥ずべき総理の一年交代がこれからも続くことになりかねません」(平成24年11月8日の衆議院本会議)。

 野党が長かった中野先生の言葉が政治に反映されることはなかなかなかったのですが、与野党は今こそ、この中野先生の引退演説の意味をかみしめるべきではないでしょうか。

 さて、私は中野先生の引退のエントリーで次のように書きました「私ももう、衆議院のことを手取り足取り教えてくださり、私の見立ての甘さを叱ってくださる先生がいなくなってしまいます。第46期衆議院で、独り立ちできるかな。それとも。様々な想いが去来する晩秋の漆黒の国会議事堂の闇でした。

 政治取材の要諦は、日程把握と想像力。それがすべてです。第46期衆議院で、私は日程を取材し、想像し、それを確かめることを、自分一人でしなければならないと思い込んでいました。ところが、私はことし、40歳1か月すなわち4月、後半国会スタート直後に、「集団的自衛権で法案は秋の臨時国会に出せず越年の観測 ガイドライン改定優先との見通し」という記事を書きました。そして、実際、5月の大型連休の外遊中に、安倍首相と石破自民党幹事長が安保法制の再整備法案を秋の臨時国会に出さずに、翌年の統一地方選後に先送りすると動向記者団に示唆しました。

 日程把握と想像力ーー1997年、私は日経新聞首相官邸クラブ記者として、100日間の国会夏休みを経験しました。このとき、首相秘書官の一人から「ガイドラインガイドラインって聞くけど、あんたはガイドラインを読んだことがあるの?」「ありません」「そういう人は私に質問してほしくないわけ」と官僚らしい物言いで言われたことがあります。そして、あくる1998年に小渕外相の総裁候補番記者をしているときに、外務省政務三役室から、高村外務政務次官が「僕は総裁選は関係ないけど、こういうときこそ、政務次官がしっかりしないとね」、柳井外務事務次官が「みなさん、そのままどうぞ座っていてください。大変でしょうから、立たなくていいですよ」と言いながらエレベーターホールに現れた言葉を思い出しました。そして、ガイドラインが日本国内法制化されたのは、1999年、高村外相、柳井次官の元です。そして、2014年現在の安保法制懇の座長は柳井さんで、与党協議会の座長が高村さん。ならば、安保法制の再整備法案よりも、ガイドライン再改定が先になるはずだ。

 この予想はピタリとあたりました。秋の臨時国会は、安保法制の再整備法案の先送りで、「まち・ひと・しごと創生法案」やら「女性の活躍推進法案」やら、抽象的な法案が相次ぎ、ついには解散されました。

 そして、日本自衛隊を地球の裏側まで送り込み、武器・弾薬を際限なく提供して、血を流してくれという、自民党公明党による「集団的自衛権に関する憲法解釈の整理」という大暴挙がありましたが、その法制化と、日米同盟での文書(ガイドライン)化を、なんとか来年に押し込むことができました。政治というのは相手があります。自民党には民主党があり、日本には米国があります。政治の世界ではプレイヤーも変わりますから、先送りさえすれば、未来はなんとかなるものです。

 過去と現在と未来に恥じない自分でありたい。

 この日程感を教えてくださった先生。それが誰かはここでは明かしませんが、この先生にこれからもついていこうと。

 私はその人をいまだに「先生」と呼んだことはないのですが、やはり「先生」なのだと。

 2014年、平成26年、当ブログをご愛読いただきましてありがとうございました。

 2015年、平成27年も、同じことを同じように続けていこうと思います。すべては政権交代ある二大政党政治のために。 

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