
日曜日のテレビジョンで、自民党の連中が麻生首相の悪口をいろいろ言っていたようです。しかし、与党議員だったら、総理大臣の悪口は総理に直接会って言ったらどうですか。
思い出すのは、1993年6月14日の若手議員20人による「宮澤総理邸“夜討ち”事件」。
岡田克也さん、簗瀬進さんら当時の自民党1年生議員たちは「思い余って、有志20名ほどで夜中いきなり、総理の自宅に押しかけて直談判するに及んだ。いま思えば、すいぶん乱暴なことをしたものだ」「通された玄関近くの部屋で我々が車座になると、総理も床にあぐらをかいて座り、若い議員が口々に訴える改革の必要性にじっと耳を傾けていた」(岡田克也『政権交代』19頁から引用)。
総理に会わずに、テレビジョンで総理の悪口を言い、政界再編を企てる腰抜け、渡辺某、中川秀某、山崎某、加藤某。テレヴィジョンの語源はラテン語で「遠くが見える」という意味合いです。遠くと話せる「テレフォン」と同じ語源です。テレビジョン越しにしか総理大臣(自分の所の党首)に物を言えない人間など、与党議員たる資格はありません。悪口は麻生本人に言え。そんな腰抜けの新党など期待できるわけがありません。
さて、翌日(1993年6月15日)付産経新聞第1社会面です。私自身、当時の報道で覚えている部分がありましたので、4行ほど付け加えさせて頂きました。
[産経新聞から引用]
(前略)
この夜、自民党の改革推進派の若手国会議員らは東京都渋谷区の宮沢首相の私邸に集団で“討ち入り”。あくまでも今国会中に改革実現の姿勢を貫くようにと首相に強く迫った。
午後八時半過ぎ、黒塗りの車が首相私邸前の狭い通りに続々と集結。「政治改革を実現する若手議員の会」代表世話人の石破茂氏を先頭に、簗瀬進氏、岡田克也氏、河村建夫氏ら十九人の若手議員が、門前のインターホンの前に集まって出てきた秘書と交渉した。
秘書は門を閉ざしたままで、いったん中へ。
「(首相が)居留守を使うなら、何時間でも待とう」「帰っていることは確認済みなんだ」。議員らの間からはこんな声も。
私邸の前は議員や報道陣の車と人でごった返し、原宿署から応援の警官が出て整理に当たった。
約十分後、宮沢首相は、にこやかな表情で門まで出てきた。ふだん着のシャツに背広の上着を羽織っただけの姿。
押しかけた議員らは事前に来意を電話で伝えていたのに、首相は「おやおや、みんな。どうしました」と、突然の来訪に驚いたような表情で、おとぼけ。
石破氏 「恐縮ですが総裁、どうしてもお話ししたいことが…」
首相 「何なの? ここでやろう(話そう)か?」
石破氏 「政治改革の断行について…」
(このあとの部分は私の記憶から再現します)
首相 「遅いけど、君ら、(家に)上がるかい?」
石破氏「・・・」
岡田氏「お願いします!」
一同「お願いします!!」
(再び、産経記事に戻ります)
短いやり取りの末、議員らは結局、首相にうながされて中へ。首相は終始、笑顔を崩さなかった。
議員らはこの日夕方から、拠点にしている東京・赤坂の事務所に三々五々集まり、梶山静六幹事長の「断念」発言などについて話し合ったが「自然発生的に私邸へ討ち入ることになった」(秘書の一人)という。
この後も、遅れて駆け付けた議員計七人が次々と中に入り、約三十五分後、話し合いを終えて全員がそろって私邸から出てきた。
石破氏らによると、首相への申し入れは「両院議員総会を開いて改革実現の決意を明言してもらいたい」というのが主眼。
これに対して首相は「多数決をとるとなれば、我が党はどういうことになるのかな」と考え込んで見せ、難色を示したという。
議員らは「総理の決意は今までと変わっていない」と分析したが、一部からは「首相は今まで、テレビなどでは改革断行を約束したが、党の機関では一言も言ってない」と批判の声も。この後再び拠点の事務所に戻り深夜まで協議した。
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宮崎信行
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