思い出すこと

 18年間で、生活に必要なお金を得るために働くことは一秒たりともしないですぎました。高価な撮影機材もすべて働かないで得た現金で賄うことができました。それは自分にとって一番の勲章です。

 グーグル・アルゴリズムを徹底的に研究した18年間でしたから、「人間の評価」を気にしないことでも徹底しました。

 私は先天的に記憶力が良過ぎるところがあり、1978年、4歳のころから、ブラウン管テレビにカーター大統領が映るたびにはしゃぎ、両親に笑われていたことを鮮明に記憶しています。

 ブログをはじめてすぐの2007年12月7日の「【小沢訪中団】北京の印象を散文詩で」に関して、時事通信の記事を張り付けて批判されたこと。その2年後には、現在は「次の首相5位」の玉木雄一郎さんも同じ趣旨のことを書いていました。時事通信の記事と私の記事とで、時事が正しいという前提でコメントを寄せた読者は18年たって死亡済みと考えられます。

 2008年8月25日の「福島伸享さん」に関する記事で「亨」と誤った文字を使ったのは私がいけない。が、それを指摘したコメント欄で「日経新聞でそれをやったら仕事にならないでしょ」と。私は「仕事」という言葉の意味が分からず、物理学の教科書を購読してまで研究しましたが、いまだにわかりません。このように「働かない」「グーグルアルゴリズムの評価を6600晩連続で気にする」ことで、ひとりの労働者や労働者たちの価値観と大きく遊離していったようです。それでも月12万PV時代にはかないませんが、月5万PVを維持し、友人の選挙も連戦連勝。日本語は単複同形の欠陥言語ですが、「国民」「聴衆」は人間の顔をしていない証左だと思います。

 一番きつかったのは、2019年5月、大野知意横浜市議の父から夫婦連名ではがきが届き「深い洞察と高い見識」「さらなる充実を期待します」と評されたことです。私は両親が日教組構成員だと知っていて、会話をしないよう距離をとっていました。なのに、追い剥ぎのようにお礼状を送り付けられてしまったのです。彼女の初当選から1か月ですが、私にとっては機械廃業作戦の物理的な遂行を完成した1週間後でした。いつからか障害者である自分のことをくよくよしなくなりましたが、やはり友人がバッジをつけることへのコンプレックスは払拭されず、これが一番きつくて、ブログ更新が最も長く途絶えることになりました。

 このようなつらい思い出の連続で、持病のため至近距離で私を見る人にとっては常に疲れた容貌でしたが、写真に写る私の顔は18年間ほとんど老化しておらず、やってきた甲斐は十分ありました。

 お金の計算にさといため、単著は出さず、地上波出演も10年途絶えています。はてなブログへの移転で、月5万PVを割ることへの恐怖心は強いです。が、ことしになっても岡田克也衆議院議員の指摘で、経産省の局長が警視副総監・東京高検部長より2日間早く大川原化工機に謝罪に訪れることになりましたし、参院選4日目に首相が川口を訪れて参政党を念頭に排外主義に言及したこともオールドメディアに先駆けて報じました。このことから、PVが減っても、政治的影響力は減らないとみられ、動画も含めた新展開のやり方は理解していますので、宮崎信行の政治的影響力が大きく低下することはありえないので、自分らしく取材し書いていこうと考えています。

 以上です。

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