クラス替えにご用心 当ニュースサイト主宰者の政治ジャーナリスト・宮崎信行の「家業」に関する報道産業従事者とのリアル会話の厳禁のお願い

 報道産業従事者と当ニュースサイトの主宰者・宮崎信行との口頭での会話での衝突が増えていますので、書きたいと思います。

 配信で、私が北区で町工場を経営し社長なので昼は政治ジャーナリストをしているとの虚偽の内容がありました。私は機械販売会社の代表取締役であることは事実ですが、町工場を経営したことは一度もありません。金がある配信者なら訴えていたでしょう。

 私は家業が町工場だと間違われて不快な思いを人生で百回前後しています。弊社は著名な機械販売会社でしたが、2018年10月に第2代社長になり、2019年5月の期をもって廃業し、休眠法人となっています。1952年に父が上京し1958年に母が上京して1966年に創業してから機械販売業として抜きんでた成功を収める一方、自分たちの手はきれいなまま、8割の同業者の倒産を横目に見送ってきました。このため、失われた30年において、人件費ないし総人件費が安い機械販売業ではなく、人件費ないし総人件費が高い町工場だったら倒産していただろうと家族で認識を一致しています。これより前に、私は幼稚園児の頃から「人件費が安いのが善で、高いのは悪だ」と深層心理で認識してきました。これについて言語化してリアルで会話しても、数分すれば話は破綻します。

 また不動産賃貸業は足立区で経営しているという感覚で生きてきました。正確には、北区で住宅ローンを組んで法人に貸し出していたので、税務上は1979年ごろから北区の不動産賃貸業です。が、これは全く3人程度のお金のやり取りで所得税を払うための処理に過ぎません。足立区での不動産賃貸業は1985年からしていますので、私は住んだことが無いのに「環状七号線の渋滞を解消するための公民の努力の38年」はある程度、アタマにイメージできます。足立区で不動産賃貸業をしていることを、北区の機械販売業のライバルたちは知らなかったようですが、両親は自分から話さなかっただけで、嘘はついていません。信用金庫は父が足立区に土地を持っていたり、実家が先祖代々の豪農であり続けていたりすることは当然知っていて審査しています。

 一方、足立区での貸工場開発で私が高く評価を受けた後、北区でも貸店舗をしたいと、事実上の「現物出資者」である父と生前10年近く意見が対立しました。これについては、父の一周忌の翌月に着工し、きょねんは稼働率100%を達成して、まもなく確定申告。これに先立ち、「元週刊新潮記者である新潮社正社員」という恩義のある人物から「イベントホールにしたら」とため口で話しかけられ内心キレたことがあります。ここまで読んだ人はお気づきでしょうが、イベントホールだと自分が管理せねばならなく、労多くして実り少なくとっさに新潮社正社員は私に政治ジャーナリストをやめろと妨害しているのかと脳内変換してしますからです。

 このように話がかみ合わないので、報道産業従事者の私の家業に関する会話はいっさいお控えください。

 以上です。

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