【訃報】武村正義さん、羽田孜内閣が64日間で倒れた「官邸の不思議な出来事」、排除の論理で1996年民主党加われず

 武村正義さんが亡くなったと報じられました。

 自民党を離党して、新党さきがけ代表に。細川護熙内閣で違う政党から内閣官房長官に就任しましたが、その日から、竹下登自民党衆議院議員経世会最高顧問と内通。

 金銭スキャンダルで細川内閣が倒れたのは、平成6年4月28日。つまり、年度は12分の1しか過ぎていなかった当時。

 羽田孜内閣は同じ党から、熊谷弘内閣官房長官を起用しましたが、熊谷さんが首相官邸内閣官房長官室に入った直後に、すべてが終わったことをさとりました。

 羽田孜さんは「みんなが羽田孜のように虚心(坦懐)になれば日本は良くなる。もう政局は終わりにしよう」と64日間で退陣。

 田中派時代から、新生党は「秘書会」「秘書会青年部」が党本部機能を肩代わりする組織づくりをしており、羽田内閣は社会党の連立離脱による少数与党だったため、官邸の出来事は佐藤公治衆議院議員ら、新生党秘書会、同青年部、同学生部は、最も官邸の秘密を分かち合った政権与党でした。

 蛇足ですが、新生党の「在籍証明」を出す権限は、羽田家から公式に宮崎信行が請け負っており、「維新の大阪の裏方幹部」「自民比例参院議員の政策秘書」らも私から在籍証明をもらっていますが、ホームページには書いていないようです。

 その後の武村正義さん。さきがけの鳩山由紀夫さんから「排除の論理」を主張され、民主党結党に参画できず。

 落選。

 2009年の政権交代では、テレビ朝日などから「官房機密費」についてインタビューを受けました。

 以上です。

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