◎党首会談はやはり「話し合い解散打診」だった 当ブログが最速&ピタリ賞

 西垣雄一郎記者(時事通信社)が民主党担当記者のナンバーワンであることは衆目の一致するところです。もちろん松田京平記者(朝日新聞社)は別格として、番記者として西垣記者が飛び抜けていることは、何かにつけて異論続出の記者仲間でも異論は出ません。

 昨夜、小沢一郎代表が社民党の幹部と会食したそうです。このエントリーの下にくっつけてある記事は「党首会談、話し合い解散が目的=『首相は判断できず』と小沢氏」という時事電です。

 当ブログの読者はピンと来たと思いますが、11月17日の午前中に「民主党代表、話し合い解散打診か」というエントリーを書いています。出先からケータイから投稿しました。

 昼のNHKニュースをはじめ、午前中にこれを報じた報道機関をありませんでした。というわけで、これは当ブログの大スクープだったわけです。

 しっかりした組織の1週間の動きは月曜日の朝に決まりますから、私が同日、党本部にいました。そしたら、鳩山幹事長が突然あらわれ、記者に「結論から申し上げますと、自民党に今日中の党首会談を申し入れます」と話し始めたのです。「今日中」の意味は、翌日予定されていた「新テロ特措法」の採決に関係しているのはすぐに分かりましたが、「会談の目的」はなんだろう?ちょっと考えたら「話し合い解散」しかなかろうと。これは私の憶測です。

 話し合い解散は今から50年前、1958年4月25日にありました。これに先立つ予算審議の真っ最中の、2月3日、日本社会党は「衆院の解散を要求する決議案」を提出しました。この議案は本会議で「賛成151、反対256」で否決されましたが、与党が勝った(否決した)にもかかわらず、予算審議はストップしてしまいます。

 自民党代議士が本会議での反対討論で、「社会党が真剣に解散要求決議案を提出した、という証拠を示したいならその方法を教えよう。それは社会党議員全員が議長に辞表を出すことである」という発言をしたからです。

 益谷議長のあっせんで、議事録から削除されたこの発言の主は小沢佐重喜代議士です。小沢一郎さんのお父さんです。

 小沢さんは当時、都立小石川高校のたぶん2年生ですから、父の名前が新聞を騒がしていることは当時から知っていたでしょう。都立三大高校の小石川で、クラスメートは小沢さんをからかったのか?それともそっとしていたか?私の知っている小石川卒業生からして、おそらくそっとしたと思います。小沢一郎さんが公の場で口数が少ないのは、このような原体験も影響していると思います。

 また、このエピソードからして、「小沢代表が話し合い解散の事例を熟知している」というのは間違いないでしょう。

 こういう本を読んでいると、久しぶりに「ベタ張り」取材をしていてもとっさに過去の事例が浮かびます。ですからケータイから「話し合い解散打診か」と書いたんです。

 西垣さんの記事の末尾には23時53分という配信時刻がクレジットされています。ホテルでベタ張り取材をした後に原稿を書いたんでしょう。西垣さんのような優秀な記者は夜回りは週2回ぐらいにして、自宅でゆっくり読書をするような生活をすれば、マスコミ不信もかなり解消されるでしょう。大競争時代を生き残るのはメディアはそういう労務管理ができた部長がいる新聞社だと思います。

(参考文献:「解散の政治学」藤本一美、第三文明社)

党首会談、話し合い解散が目的=「首相は判断できず」と小沢氏

 民主党の小沢一郎代表は11日夜、都内のホテルで福島瑞穂党首ら社民党幹部と会食し、11月の麻生太郎首相との会談について、衆院の話し合い解散を促すのが目的だったことを明らかにした。
 出席者によると、小沢氏は会食の席で「麻生内閣はもう持たない」と強調。社民党の又市征治副党首から「(首相との会談では)話し合い解散を持ち掛けようとしたのでは」と聞かれると、「その通りだ。麻生は判断できなかった」と認めた。ただ、来年の通常国会での2008年度第2次補正予算案成立後の話し合い解散については「麻生には計算ができない。打倒するしかない」と述べた。 
 また小沢氏は、首相退陣後の与野党による「選挙管理内閣」構想について「首相は長老がいいのではないか」と指摘。自民党の中山太郎元外相の名が挙がると、「そんな感じだ」と語った。
 小沢、福島両氏は、首相を早期退陣に追い込んでいくことで一致した。(了)
(2008/12/11-23:53)

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