
2010年9月に、菅直人首相に与党幹事長を任されてからの11年のうち、海江田万里代表時代と蓮舫代表時代の通算2年半を除いた8年間、枝野幸男さんとの二人三脚で主流を占めた岡田克也さんが、傍流に落ちました。
泉健太新代表より「当選回数が多い小選挙区当選者」は9議員いて、そのうち2人が懲罰・決算委員長で、それ以外の7議員は役職が発表されていません。しかし、その7議員の中で唯一、岡田克也さんがきょう、令和3年2021年12月14日(火)テレビ入り予算委員会に登場しました。
岡田さんは2009年9月に初めての政務三役入りで外相をつとめましたが、初答弁を指名した林芳正さんが、今回外相という巡り合わせになりました。
きょうの岡田克也さんは「私も外務大臣のときに、核のない世界を目指した」と語ると、岸田文雄首相は答弁で、「まずあの冒頭、岡田委員におかれましては、核兵器のない世界をめざす核軍縮において、外務大臣時代に、核密約(の公開)の問題をはじめ様々な取り組みをされたことについて、敬意を表し申し上げたいと思います」と語りました。
岡田さんは岸田政権の発言について「核の先制不使用について当事国の検証が必要だ」という逃げの説明をしたことについて、「宣言政策なのだから、検証はできないのではないか」と理詰めで指摘。林外相は「検証は不十分だが、核兵器国が実効性のある宣言は難しい」との認識を示しました。
岡田さんは「核兵器禁止条約について、先月のNHK調査では56%が賛成だが、前提が少し違うのではないか。やはりアメリカの核の傘の下にいる必要が日本にはある」としつつも「とはいっても、核禁条約締約国会議へのオブザーバー参加はどうしてダメなのか。議決権はないけれども、日本の戦争被爆国としては、台湾問題の考えを言えばいいのではないか」と主張しました。
最後に桜を見る会で、「岸田さんの枠」があったかと問い、首相はとっさに答弁できないとし、調査してみるという趣旨の答弁をしました。
大串博志さんが筆頭理事なので、予算委員会に出られたのかもしれません。調べたら、傍流だった2017年にはテレビ入り審議には出られませんでした。上の写真は、民進党役員会では無くて、常任幹事会だと思いますが、当時なんの立場で出席していたかは、私の撮影した写真ですが、にわかに思い出せませんでした。
傍流が1年以上続いた2017年9月の東京プリンスホテルでは、党大会前に、枝野幸男陣営の総決起集会が開かれました。私は会場の近くのエレベーターホールににいましたが、岡田さんと逢坂誠二さんが現れ、岡田さんは私と目が合うと、逆方向に歩きだし「レストランどこだっけ?」と芝居をしました。比例単独当選ながら、その後に小選挙区出馬を命じられて、岡田克也・小沢一郎代表経験者と折り合いが悪いとみられる逢坂さんが、腰を折り曲げた極端な低姿勢で右手を前に出した強靭な足腰で「岡田先生どうぞこちらです」と枝野陣営に案内しました。岡田さんは枝野元幹事長を応援するとはいえ、総評系サンクチュアリが主流の選対で、前原誠司陣営にも配慮したいという考えがあったと思います。また逢坂さんというのは、こういう人なのだな、と強く印象に残りました。枝野陣営はぼろ負け。ところがわずか1か月後に、枝野さんは「立憲民主党結党」岡田さんは「無所属フォーラム結成」で突然三頭立ての馬車のうち2つの馬術師となり、「大きな塊コンビ」でその後4年1か月主流を歩きました。岡田さんはこの4年間、毎回テレビの党首討論に出て、ましてや予算委員会ではテレビ映りには関係ないですが「当初予算案の基本的質疑の2日目」という野党にとってはクリーンアップを毎年になってきました。しかし、2015年「シールズの夏」以降の、「市民連合と野党の共通候補」路線が見直しとなり、しばらく雌伏の時が続きます。ただまあ、身銭を切らず、党を二分する代表選もせずに、主流でいられたのでそれで、12年中9年半主流ということで、岡田・枝野は、二階幹事長の10分の1のコスパで主流にいられたといえそうです。
きょうは、代表選に出た逢坂誠二代表代行の次に質問。東京プリンスの低姿勢から4年3か月後に、総評系サンクチュアリのトップが枝野代表からダイレクトに逢坂代表代行に変わったとは、ちょっと驚きです。
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (0)









この記事へのコメントはありません。