
先の第49回衆院選で、群馬1区の自民党公認を、二階派の中曽根康隆さんに奪われてしまい、比例単独に転出した、安倍派の尾身朝子さんが、きょう令和4年2022年1月31日(月)のテレビ入り予算委員会に登場し、15分だけ質問。この中で、「大島理森前議長は国際会議なので日本の女性議員が少ないことに忸怩たる思いがあったというし、国連のグテーレス事務総長は、女性が少ない代表団には合わないそうだ。衆議院における女性比率は9・7%で、民主主義は歪んでいる」と語りました。
そして、テレビ入りを意識し、「みなさま、予算委員会をご覧ください。委員50人のうち3名しか委員がいません。これが現実です」とアピールしました。
菅義偉首相・二階俊博幹事長体制での中曽根さんが比例でも4区(高崎市)でなく1区(前橋市)をねらい、小選挙区当選の現職では異例の比例転出を迫られたことへのあてこすりであることは明らか。
この後、二階幹事長室で幹事長代行をつとめた野田聖子・男女共同参画相(無派閥)に答弁を求めて「尾身議員の発言に勇気をいただいた」と答弁しました。野田さんは、菅さんとも二階さんとも等距離を置いていたとみられます。

[写真]中曽根康隆・自民党衆議院議員、きょねん9月、宮崎信行撮影。
衆院選後、おそらく「竹下派」が「茂木敏充派」にあっさり衣替えしたことから、党内小競り合いが全面解禁され、佐渡の金山の世界登録で安倍晋三前首相が岸田文雄首相を公然と批判し、首相が翻意。きのうは日曜討論で「緊急事態宣言はあるか」と問われて「ありえる」と答えた高市早苗政調会長がツイッターで「聞かれたから答えたが、首相と同じく慎重だ」とするなど小競り合いが続いています。
尾身朝子さんは当選3回、60歳。筆者とは奇遇があり、中野寛成さんの番記者をしている当時、議員宿舎が隣で初入閣の尾身幸次経済企画庁長官が「桜が咲くころには景気が回復する」との本会議答弁を繰り返し、「花咲か爺さん」と馬鹿にされていました。橋本龍太郎内閣のそのころから25年間、日本に桜は咲かないようです。それはさておき、尾身さんは当時56歳だったはずですが、宿舎には三輪車と赤子の鳴き声。ミステリー。おそらく朝子さんファミリーが住んでいたのでしょうが、尾身朝子さんは一つだけ違うところがあります。尾身さんのお父さんは一橋大学卒の大蔵官僚でした。一橋から大蔵事務次官は令和3年まで一人もいませんでした。そして、尾身さんが官僚当時に既に18歳になっていた尾身朝子さんは東京大学法学部を卒業し、NTTに就職しています。世襲の男性では、細田博之さん、宮路琢馬さんらが東大法卒ですが、世襲の女性で東大法学部卒は尾身さん一人だと思います。野党もいつまでも自民党の世襲を馬鹿にしてなめてかかっていると、与党と対峙できないと思います。
2007年の参院選に全国比例代表に出ましたが、得票数では自民党の退潮がなければ当選していた数字となっています。この時代は、現代とは違い創価学会が安倍晋三首相(自民党総裁)街頭演説会にも動員をしていたこともあり、尾身さんも手提げ紙袋を持って現れおそらく自分1人ないしスタッフ1名程度とともに、人の波を縫うようにビラを撒いて引き上げていきましたが、全国では11万7783票取ったようで、違う党なら当選していました。
立憲民主党調査、自民党調査とも「中曽根、尾身、立憲、共産」の4候補で情勢を調べ、たしかに中曽根さんが大量リードしていました。でも、尾身さんが出ても、野党候補には勝った可能性が高い調査が出ていました。群馬では安倍派は4区の福田達夫総務会長だけで、他の3人は小渕優子さんら茂木派です。自民党の小競り合いに手を突っ込んで保守分裂させられる政治家が立憲民主党にいれば、大勢が変わることもありそうです。
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (0)









この記事へのコメントはありません。