14年前2007年11月に当ニュースサイト既報の「福田・小沢会談」は渡辺恒雄さん提案は的中

 NHKはBSで「BS1スペシャル「独占告白 渡辺恒雄 ~戦後政治はこうして作られた 平成編~」を放送。この中で、当ニュースサイトが14年前の2007年11月3日前後の記事以降で、主張した、2007年7月の参院選で衆参ねじれ以降最初の秋の臨時国会で、福田康夫首相(自民党総裁)と小沢一郎民主党代表が突然党首会談して、「自公民3党大連立」に合意したのは、渡辺恒雄・読売新聞代表取締役・主筆が提案して仲介したものだとの内容が正しかったことが分かりました。参考(2007年11月3日付「
【解説】「新聞再販」死守の渡辺恒雄、礼儀正しい小沢一郎 党首会談の裏側」など)。当時は「大胆予想」などとSNSで書かれました。

引退後に、福田康夫さんは、衆参ねじれに困憊して、福田さんの方が渡辺さんに連絡したものの、渡辺さんが「俺は電話交換手ではない」と語ったというような回想がなされていました。

きょうの放送で、渡辺さん、福田さん、小沢さんが3人とも別々にインタビューに答え、渡辺さんが、ホテルオークラに、閣僚何人、自民党何人、民主党何人と選んでの食事会を設定。その後に、党首会談になったようです。しかし、小沢さんが緊急役員会に持ち帰ったところ、ほぼ全員から反対され、破談となりました。小沢代表は辞任を表明しましたが、羽田孜さん、渡辺恒三さん、石井一さんの3人が滞在先ホテルをつきとめ、直談判し、続投しました。

渡辺さんは、小沢さんとのパイプがなかったため、細川護熙首相・小沢一郎代表幹事時代の大蔵事務次官、斉藤次郎さんに案内役を頼んだと初めて明かしました。

東大教授だった御厨さんは、渡辺さんが有名になり過ぎたので、会合の人選などが他人任せになり、本人が立ちまわっていたときのように事が進まなかったから破談したという風に解説しました。

さて、きのう1日間のページビューが2・14万PVとなりました。

14年前の「渡辺・読売社長の件だから書けない」のと同じく「東京オリンピックは公式スポンサーだから書けない」というレガシーメディアがかかえる状況でうまく浮上した格好です。

どうせ1円の売上高にもならないので、真剣にはなりませんが、かなり政治への関心が高まった状態で2021年衆院選になります。全国出張する懐はありますが、コロナ感染状況次第ではリモート取材中心になるかもしれませんが、あの暑い夏の総選挙2009年8月におこした「宮崎ブーム」を12年ぶりの「第2次宮崎ブーム」として巻き起こせるように、ほどほどがんばります。

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