篠原孝さんが引退、日本農業新聞が1面で報じる、副幹事長2回、農業者戸別所得補償・食農支払の理論的支柱として知られる

 日本農業新聞はきょうまでに1面で、日曜日の第51回衆議院議院総選挙で初出馬以来初めて議席を失った、篠原孝さんが引退すると明言したと報じました。後継者は「土のにおいの分かる女性」を探していきたい意向だとしました。

 篠原さんは、選挙区の主体である長野市の北に隣接する中野市信州中野)の農業者に生まれ、長野県長野高校から京都大学法学部を経て農林省に入省し、パリの「OECD本部」で自由貿易の担当もしました。「篠原農園」は1歳下の弟がつぎました。篠原さんは初当選後に、山形県参議院議員候補として「農林水産省の後輩で山形に住んでいる女性がいる」と同県の鹿野道彦元農相に教え、鹿野さんが直接会いに行き、舟山康江さんをスカウトし、2007年の参院選「逆転の夏」の象徴的な勝利につながりました。2009年の政権交代では、鹿野さんが農相再登板となりましたが、スカウトした舟山さんが農林水産政務官となっていまし、民主党のガバナンス不全が指摘されました。その後、農林水産副大臣となり、「3・11」で菅直人首相・鹿野農相を支えました。この間、両親が相次いで亡くなりましたが、篠原農園主である弟が喪主をつとめ、たとえ副大臣であろうとも、農林は田畑に寄り添って生活する者が主役であることを身を持って示しました。

 野党になってからは、同じ年の海江田万里代表が幹事長に大畠章宏さん(日立労組出身)に「渦中の栗を拾ってほしい」と依頼し、篠原さんを筆頭の副幹事長に招きました。その後も、西村ちなみさんが幹事長になった際も、幹事長代行となっており、党本部幹事長室の筆頭を2回やっています。長野県連は「羽田孜顧問・北澤俊美代表・羽田雄一郎副代表」の時代が30年近く続きましたが初めて県連代表になり、羽田次郎さんの「市民と野党の共同候補」としての圧倒的な初当選に貢献しました。

 安住淳国対委員長と折り合いが悪く、衆議院の農林水産委員にはなかなかなれず、党の政務調査会の農水部門会議への出席率は高く、農水族として一目置かれ続けました。環境委員として小水力発電などに一家言持ち、原発ゼロの会の主要メンバーとして、新潟県柏崎市にある東京電力柏崎刈羽原子力発電所の再稼働に反対し続けました。

 また、意外と知られていないと思いますが、ミスター政治改革・羽田孜さん(長野3区=上田)の意思をつぐ政治家だという意識が強く、衆議院政治倫理の確立と公職選挙法改正に関する特別委員会(衆・倫選特)の委員は、常に務めていました。

 「1区のたかし」として初当選はかなり先輩ながら同い年の河村たかしさん(愛知1区)と仲が良く、「自転車で遊説すべきだ」との選挙指南を受けていましたが、要請を受けて、長野1区を訪れた河村さんが「ここでは無理だ」と地勢に驚きました。が、70歳を過ぎてから、選挙カーに収納しつつも麦わら帽子と自転車を乗るかたちの活動も取り入れました。

 奥さんも農林水産省元キャリア官僚。東京・杉並区にも自宅を所有しており、長野では駅前のマンスリーマンションに滞在した時期が長かったようです。

kokkai.hateblo.jp

 

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[写真]筆頭の副幹事長(幹事長代行)として西村ちなみ立憲民主党幹事長の記者会見に毎回同席した篠原孝さん、4年前の2022年、衆議院第二議員会館で、宮崎信行撮影。

[写真]両院議院総会に出席する篠原孝さん、おととし2024年、衆議院講堂で、宮崎信行撮影。

 

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