[写真]枝野幸男さん、3年前2017年、都内で、宮崎信行撮影。
「4幹事長」の呼びかけで「入党宣誓書」を提出した149国会議員による、代表・党名選挙がきょう10日ありました。
「枝野幸男初代代表」が就く「立憲民主党」が、来週令和2年2020年9月15日(水)に結党されることになりました。
議席占有率は衆議院で22%、参議院で17%。「組織のたたかい」である参議院を考えると「枝野安定政権」向こう7年以上の長い道となります。
明治維新150年の内閣制度で冷や飯を食ってきた東日本出身の枝野幸男さんと菅義偉さんが、根城である議会で、内閣のトップである首相の座のしのぎを削ることになります。
国民民主党(あす解党)にとっては、枝野立憲に乗っ取られた格好ですが、新・立憲内での自治労の発言力は薄まるでしょうから、日本政治にとってはよい方向に向かうのではないでしょうか。ブロックごとに遊説日程を組む選挙対策委員会の機能は旧国民民主党の方がありますから、ウィンウィンの合併だと考えます。
「右でもない左でもない前へ」「立憲民主党はあなたです」「私にはあなたの力が必要です」とポピュリズム丸出しで「ふわっとした左」の一定の支持を得た、2017年枝野立憲(あす解党)。きょねんの統一地方選後半戦で、「当時者の多様性」を訴え女性候補者100%当選を実現。大学入学の「新・センター試験」への英語民間テスト導入では、当事者である高校2年生が衆議院本会議場裏第16控室で、野党のセンセイ方が控える中で、文部科学省の局長に対して要望書を手交。2012年以降の政治情勢では最も即効性がある方法で、高2の声がすぐに政策に反映されました。ここに、2017年立憲の真骨頂があったと考えます。
国会議員100名以上の新党結成は1994年12月の新進党以来。このときは「党首選挙」と「幹事長選挙」をやり、幹事長の立候補者が小沢一郎さん1名、党首の立候補者が3名で、「小沢幹事長」が先に当確となってしまい、一部小沢側近が、旧党の党首だった羽田孜候補の悪態をつくことになりました。結党大会で、欠席した会長に代わり連合を代表してあいさつした笹森清・副事務局長(当時)が叱責。その3年後、小沢さんが二十数億円を持ち逃げして解党(分党)しました。そのマネーロンダリングは「西松建設事件」という的外れな空振り捜査となり無罪となった小沢さんは味をしめ、2012年国民の生活が第一を2019年に解党して9億円を得ました。この9億円は残っているはずで、小沢さんが今後分断工作をするかもしれません。
一方枝野さんは、所属政党が解党された経験が一度もありません。
これについては、先週金曜日の記者会見で、枝野さんは「私は政治資金規正法に詳しくない」「福山哲郎幹事長に任せている」としており、奇貨として解党ビジネスは日本ではもう行わない、有権者の選択肢を奪う解党ビジネスは内乱罪同等にする、ということにしたいものです。
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