- 2021-9-30
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[画像]「小沢一郎事務所」インスタグラムの掲載画像をスクリーンショット。右端真ん中の矢印のような部分は、インスタのシステム上のもの。
先々週発足した、「立憲民主党」(2020年9月15日結党)に参加した小沢一郎さん。昨年の「自由党」(2012年7月11日結党)の解党により、9億円強のお金を自らが支配する政治団体に移しました。この金額が、昨年末2019年12月31日時点の立憲民主党や国民民主党の本部の繰越金(政党助成法に基づく分に限る)よりも多額であることが、先週末(9月最終金曜日)午後5時の総務省公開インターネットで分かりました。
そして、「小沢一郎事務所」のインスタグラム(フェイスブック社が経営する写真中心のSNS)は、おととい、小沢さんが「八尋家の墓」と書かれた墓石に対して、背広にマスク姿で弔意を示す写真を掲載。ハッシュタグとして「#立憲民主党 #お墓参り」としました。
2006年秋に亡くなった、八尋護さんのお墓参りとみられます。
小沢事務所は「恩義は決して忘れません」。
広辞苑によると、「恩義」とは「報いるべき義理のある恩」。上司が仏になった部下に使う言葉としてやや不自然で「報いるべき義理」とは謎の言葉です。立憲民主党での動向が注目されます。
八尋さんは、竹下派秘書軍団から、新進党経理部職員に勤務。1997年末の新進党解党の直前に、溜池にある党本部ビルから、赤坂見附にある小沢事務所まで、現金25億円を2人組で疎開させるミッションを遂行。このミッションを遂行したもう1人は今月立憲民主党職員になりました。
八尋さんは新進党を衣替えした自由党でも経理部職員となり、2003年の自由党解党で、11億円が幹事長のF衆議院議員に振り込まれ、そこから経由して小沢さんの支配下になったとされます。
その後、民主党の岡田克也幹事長の採用面接を受けました。岡田さんは誠実に対応して、党職員として就職。しかし、その後、亡くなりました。訪英中の小沢一郎さんは「私が帰国するまで葬儀を待ってほしい」という趣旨のことを言い、妙蓮寺で弔辞を読みました。しかし、永田町関係者は「八尋さんはお金のことでストレスを感じており、小沢一郎さんに頃されたようなものだ」と公然と語り合いました。
その後、小沢さんは郵政選挙・偽メール事件を経て民主党代表に。この間、不動産の買い売りを続け、解党ビジネスマネーのロンダリングであることは明白でしたが、検察が西松建設の政治献金という見当違いで時代遅れの方角から捜査したため、小沢さんは生き延びました。このお金を、2009年に個人献金し、小沢グループ140人を組織。現金200万円と引き換えに離党届を集め、輿石東幹事長に「民主党分党」を迫りましたが、拒否され、2012年7月、国民の生活が第一を結党しました。それが2019年解党され、9億円を小沢さんは得ました。
こういったことを、小沢グループや小沢信者が、2009年頃。私はひっしに書いていたのですから、知っていてくれれば、若い政治生命をなくすことはなかったでしょう。
以上です。
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