【訃報】江田五月さん逝去、享年80 江田「野党改良路線」で社民連代表、細川内閣では科学技術庁長官

[写真]江田五月さん、2013年4月30日(火)、東京・永田町で、宮崎信行撮影。

江田五月さんが、けさ亡くなったそうです。享年80。哀悼の意を表するとともに、私としてはご冥福をお祈りいたします。

元参議院議長で、非・社会党出身者で初めての最大野党の参議院議員会長、衆議院議員、社民連代表、科学技術庁長官、法務大臣、環境大臣。また菅直人さんを支える議員グループを長く主宰しました。

けさ、令和3年2021年7月28日(水)の午前8時半に岡山市内で亡くなったそうで、異例の3時間以内の報道となりました。

立憲民主党の江田憲司代表代行も岡山県出身ですが、親戚関係はありません。

江田さんは、最大野党を「革命」ではなく「改良」にしようとした農業運動家で、インテリメガネ姿が印象に残る江田三郎さんが、党を離れ、悲痛の思いでつくった、社民連(社会民主連合)をつぐために、急きょ立候補して参議院議員全国区に初当選。東大法学部時代に逮捕歴がありながら裁判官となり留学歴もありましたが緊急政治家になりました。社民連は、菅直人さん・田英夫さん・楢崎弥之助さんら多彩な人材で、質問時間を確保するために、河野洋平さん・西岡武夫さんらの「新自由クラブ」と統一会派もつくりました。

その後、政治改革ブームで、細川内閣の8党派党首の一人として、国務大臣科学技術庁長官に就任。このときに、菅さんはさきがけに行き、自社さ内閣の政調会長・厚生大臣となりましたので一度袂を分かちました。

そして、細川・羽田内閣の枠組みをそのまま政党にした新進党に参画しましたが、岡山県知事への転身をはかり、浪人し、参議院・岡山選挙区から国政復帰しました。

民主党では、参議院議員会長に、社会党・総評所属がない議員では初めて就任。2007年夏の逆転国会で、江田五月参議院議長・西岡武夫議運委員長となりました。

参議院議長退任後は、菅直人総理の再選のため、2010年9月の民主党代表選では、東京プリンスホテルの集会を主宰し、カレーライスを無理言って、カツカレーライスに昇格。参加人数の見積もりが立っていることを暗示する老獪な選挙戦術でした。敗北した勢力は、残念ながら、2年後に集団離党することになりました。

菅直人首相のもと法務大臣として、総理の隣の席へ。この内閣は「環境大臣兼防災担当大臣」という奇妙なポストがあったため、3・11でまったく回らなくなりました。急きょ、江田さんが「法務大臣兼環境大臣」というこれまた奇妙なリリーフとなり、国立公園以外には出先機関がない、環境省が、幹部が東北のホテルに泊まり込みで災害瓦礫の処理にあたっているから大丈夫だという趣旨の答弁で、政治家として野党の質問を煙に巻きました。

また、岡山県連は、菅直人さんともゆかりがあり、江田・菅コンビで、津村啓介さん・柚木道義さんを指導し、県連・グループとも堅固な結束を誇示しました。

当ニュースサイトは、2007年8月7日付の「江田参議院議長就任」からストーリーを説き始めています。

この間、衆議院議員の誕生日祝いに来た江田さんの秘書と名刺交換をしたことが、おそらくきっかけとなって、旧サイトのリンクを張ってもらいました。私も当ニュースサイトを始めた当時は、1年半無職で、政治ジャーナリスト兼不動産賃貸業者として人生を再出発したばかりでしたので、参議院議長の個人ホームページにリンクが張ってあるということは、かなりの信頼性向上につながりました。

系列が違いますので、江田さんとお話ししたことは一度もなく、江田さんの秘書とも13年前の一回お会いしただけです。

感謝します。

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[ご紹介おわり]

以上です。

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